2010年12月21日火曜日

『文書術』工藤順一著〜「なぜ勉強するの?」明確な答えがここにある!

工藤順一著 『文書術』




本書の著者である工藤順一さんは、自ら国語の作文教室を開き、
長年子ども達に文章を書くことを指導されてきた方です。
きっと、学校で使う教科書という狭い枠に捉われず、
一人一人の子ども達の実態に応じたたくさんの手だてをお持ちだろうと
期待しながら読んでいきました。










【生きる=コミュニケーションのために学ぶ】
本書には、すぐにでも使ってみたくなる「宝探し作文」「コボちゃん作文」や
「考えるための12の道具」といった具体的な実践方法が書かれています。


ところが、意外にも私の心に残ったのは上記の実践方法よりも、
「文章を書く意味」「なぜ、学ぶのか?」について述べられている部分でした。

これらの問いに対する答えだと私が思った箇所を、
少し長くなりますが引用させていただきます。


 (P12~13)
「~私は日本の政治に関しては、無責任なとこや談義のようなことは書いたり話せたりするかもしれませんが、「書き言葉」を使って現代日本の政治を客観視した上で、分析したり、意見を述べることはできません。

それはなぜかというと、日本の政治について、基準となる見取り図とか地図にあたる共通理解の前提になる全体像を勉強不足のために描けず、自分の言葉を客観視しながら使用できないのです。
このことはある重要な示唆を私達に与えてくれます。
それは、なぜ勉強しなければならないか、そして毎日、コミュニケーションしなければならないかについての答えです。読み書き」の訓練は、「書き言葉」という客観性・全体像・あるいは普遍性への不断の参加のためなのです。」


私の解釈はこうです。
「なぜ、学ぶのか?」
 それは、できるだけ多くの人々と共通理解の土台を築くため。


「なぜ、書き言葉で読み書きをするのか?」
 それは、状況が常に変化する中、相手にわかりやすく伝えるため。

 こうして書きながらも、自分の理解が試されているようです。
 偶然、このブログを読んだ方に、私が理解したものが果たして伝わっているのか?
 そんなことを約2年間ブログを書きながら感じてきました。

 子ども達が学ぶのも、大人が学ぶのも同じことです。
 自分の感じたことを、できるだけ正確に相手に伝えたい。
 その相手は時と場合によって様々であるから、
できるだけ多くの人と共通理解が図れるように 学び続けるしかない。
 その学んだことが本当に自分の腹に落ちたのかどうかを試したり、
 書く作業を通して理解を確かめたり深めたりするために私は書いているのだ、
 ということがわかりました。


これからも自分が学んだんだことを、子ども達の学びに活かせるように、
 理解したことを偽りなく書き続けていきたいと思います。


次のような著書もあります。