本書の著者である工藤順一さんは、自ら国語の作文教室を開き、
きっと、学校で使う教科書という狭い枠に捉われず、
期待しながら読んでいきました。
【生きる=コミュニケーションのために学ぶ】
本書には、すぐにでも使ってみたくなる「宝探し作文」「
「考えるための12の道具」
ところが、意外にも私の心に残ったのは上記の実践方法よりも、
「文章を書く意味」「なぜ、学ぶのか?」について述べられている部分でした。
これらの問いに対する答えだと私が思った箇所を、
少し長くなりますが引用させていただきます。
(P12~13)
「~私は日本の政治に関しては、
それはなぜかというと、
このことはある重要な示唆を私達に与えてくれます。
それは、
私の解釈はこうです。
「なぜ、学ぶのか?」
それは、できるだけ多くの人々と共通理解の土台を築くため。
「なぜ、書き言葉で読み書きをするのか?」
それは、状況が常に変化する中、相手にわかりやすく伝えるため。
こうして書きながらも、自分の理解が試されているようです。
偶然、このブログを読んだ方に、
そんなことを約2年間ブログを書きながら感じてきました。
子ども達が学ぶのも、大人が学ぶのも同じことです。
自分の感じたことを、できるだけ正確に相手に伝えたい。
その相手は時と場合によって様々であるから、
その学んだことが本当に自分の腹に落ちたのかどうかを試したり、
書く作業を通して理解を確かめたり深めたりするために私は書いて
ということがわかりました。
これからも自分が学んだんだことを、
理解したことを偽りなく書き続けていきたいと思います。
次のような著書もあります。