2010年8月27日金曜日

だれがやる気を起こさせるのか? 加藤秀俊著 『独学のすすめ』

誰がやる気を起こさせるのか?!
【教師の役割】


本書は1974年から、雑誌『ミセス』に連載され、
その後文庫化されたものを、更に2009年に復刊したものだそうです。
結論は、いつも小学校の子ども達と一緒にいる私からすると、
「お~、大胆だな~。ここまで割り切ってしまえればいいけれど~」
と、少し躊躇される思いが残ります。






著者の加藤さんは、教師の役割を次のように言い切っています。
「教師の役割は、やる気のある学生を伸ばすことだ」
「やる気の無い学生をどんなに指導しても何もならない」
私の中でこの言い切りに、半分納得して半分ブレーキがかかってしまうのは、
おそらく加藤さんと私が接している対象が違うからだと思います。
私の教師としてのミッションの中に、
「子ども達にやる気と自信をもたせるようにする」
があります。
小学校段階では、周囲の環境によって子ども達自身の「自己肯定感」が影響を受けます。
しかし、どんなに周囲が「やる気をもて!自信をもて!」と叫んでも、
最終的にその気をもつかどうかは本人次第なのです。
本書を読む事で、やる気のある学生を伸ばすのが大学教師の役割なら、
「やる気と自信」の芽、子ども自身がそのエネルギーを回して行く事ができるようになる芽を育てるのが小学校教師の役割なのかなと、考えを明らかにすることができました。
ここ数年の教育の世界、子育ての世界には、
「やる気をもたせるのが教師や親の役目」
という何とも責任重大な役割を背負わされているような気配があります。
確かにその通りでしょう。
でも、それだけなのでしょうか?
加藤さんからのメッセージ、「日本人よ!独学せよ!」を
読む事で、
「あのとき、こんな先生に教わっていたら人生違ったんじゃ」
という、プチ他力本願の思考に喝を入れる事ができます。
【学ぶ心と意欲】
私は、P19の次の文章を読んで、「学校って何だろう?」と改めて考えてしまいました。
「~学問をするためには、学校に行かなければならない、というのはひとつの常識である。
~なるほど、学校というのは、いろんなことを勉強するのに便利なようにできあがっている。
先生たちがいるし、教室がある。図書館もあるし、学力をためすためのテストもある。
しかし、学校というのは勉強のための場のひとつであるにすぎない。
ほんとうに勉強しようとする人間は、「独学」でちゃんとやってゆける。」
さらに次のように強烈に続きます。
「~じっさい、考えようによっては、学校というものは、「独学」では勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ、といえないこともあるまい。~学校は、いわば脱落者救済施設のようなもので、独学で立ってゆけるだけのつよい精神をもっている人間は、ほんとうは学校に行かなくたって、ちゃんとやってゆけるものなのである。~」
じゃあ、学校なんていらないの?
と、いうと決してそうではないと私は言い切る事ができるのですが、ここから私たちが学ぶべきことは、
学校で学ぼうが独学で学ぼうが、
「教えて~、やる気を起こさせて~」
とツバメのひなのように口をあけて受け身で待っているのではなく、自分で自分の学びのエンジンをかけていくことが最低限のマナーなのではないではないか?ということです。
現在は、この本が書かれた1974年以上に「独学」をいつでもどこでも行う環境が整っています。
例えばe-ラーニングのようにネットで授業を受ける事ができたり、
iTunesのポッドキャストやiTunes Uで国内は勿論、海外の大学の講義を無料で映像とともに観たり聞いたりすることができるのです。
環境は整っています。
あとは私たち人間の「やる気」だけのようです。

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